南京市民は、みんな重慶へ逃げていた

進軍する日本軍から逃れようと、日本軍が来る前に、南京市民はみんな重慶に逃げていました。

南京陥落の1937年12月13日から、敗残兵の掃討作戦が行われましたが、南京市内にとどまった市民約20万人は、安全区におり無事でした。

日本軍が南京に入城した時、南京市内が「もぬけの殻」だったのは、そのためです。

 

安全区の南京市民

 

日本軍が南京に入城し、治安が回復したのを知った市民たちが、避難先から次々に戻ってきたため、南京陥落の翌月、1938年1月には、南京の人口が25万人に増えています。