琉球新報「自己決定権」から、ついに「民族自決権」要求へ!

ついに、超えてはならない一線を越えた。

琉球新報は1月3日の社説で、昨年9月の翁長知事の国連演説に関し、初めて「自決権」という言葉を使用した。

同紙は、昨年9月の時点では、知事の演説を「沖縄の自己決定権」と翻訳して報じている。(http://ryukyushimpo.jp/movie/prentry-249254.html

琉球新報がここへきて突然、「自己決定権」から、民族の独立をも含む「自決権」という用語に切り換えた背景には、いったいどのような思惑が隠されているのだろうか。

 

<社説>自決権回復へ 沖縄は強くなった 分断統治をはね返そう
http://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-197600.html

(2016年1月3日 琉球新報より一部抜粋)

  • ここ数年ほど「自己決定権」が関心事になったことは過去にないだろう。裏を返せば、今ほど露骨に沖縄の自決権がないがしろにされた時期もないということ
    だ。
  • 知事は国連で演説し、日本政府が沖縄の自決権や人権をないがしろにしていると述べた。
  • 「全ての人民は自決権を有する」と第1条でうたう国際人権規約に、日本も79年に批准した。選挙結果に反して基地建設を強行する政府は、従って自ら批准した国際法にも違反している。このような国際法も無視した沖縄の自決権侵害は「琉球処分」(強制併合)、施政権分離、日本復帰でも繰り返されてきたものだ。
  • 今、辺野古新基地をはね返し、自決権を取り戻さなければ、われわれは子孫を守れないのである。
  • 知事の国連演説の際には日本政府代表も演説した。だが「自決権」にまともに反論せず、「振興策をしてきた」と訴えるだけだった。植民地支配に厳しく対峙(たいじ)してきた国連である。人権に金を対置する論理は反感を買ったはずだ。国際世論を味方にする作業も一定の効果を挙げているとみていい。

 

 

県議会での知事答弁との食い違い

昨年の県議会で、自民党の花城議員は翁長知事に対し、「知事は、self-determination=民族自決権という意味を理解した上で(国連で)使用したのか?」と質問している。

これに対し、町田知事公室長は、県の公式見解として以下のとおり答弁し、「民族自決権」という解釈を否定している。

  1. 翁長知事は、人権理事会の演説で「self-determination」という言葉を「民族自決権」ではなく「自己決定権」という意味で使った
  2. ここでいう「自己決定権」とは、「沖縄のことは沖縄で決める」という一般名詞である。

 

(※参考「なぜ翁長知事は「独立は考えていない」と明言できないのか?」JAPAN+ 2015年10月8日)

 

翁長知事は「自分は〈自決権〉の意味で発言していない」との見解だそうだが、琉球新報は、これは「自決権」の要求だとだと主張し始めている。

翁長知事と琉球新報は、ともに仲良くジュネーブまで一緒に行った仲だというのに、どうも足並みがそろっていないようだが、いったい、どちらが真実なのだろうか?

 

島袋純教授も「知事が国連で主張したのは〈自決権〉」と明言!

もう一人、忘れてはならない重要な人物がいる。今回の国連演説をセッティングした、島ぐるみ会議の島袋純・国連部会長(琉球大学教授)だ。

島袋氏は、昨年12月9日、齋藤勁・元民主党議員が主宰する「勁草塾」のリレー討論会に出席。「戦後70年目の沖縄と東アジアの構造転換」と題して、約20分間にわたり講演した。

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当日、島袋教授が配付したレジュメには、このように書かれている。

はじめに

2015年9月21日人権理事会本会議場において、翁長沖縄県知事が「人民の自決権」の主張、なぜこのようなことが行われたのか、その背景経緯と意義を考える。

島袋純教授によるレジュメ拡大
島袋純教授によるレジュメ
島袋純教授が配付したレジュメ(PDF)ダウンロード

ついに超えてはならない一線を越えてしまった、沖縄の左翼勢力
「基地反対運動」から、「琉球独立」求める反政府闘争へ

沖縄の左翼勢力は周知のとおり、これまでも「普天間基地反対」「オスプレイ反対」「辺野古移設反対」と、次々にテーマを切り換えては、闘争を展開してきた。

「辺野古に新基地はつくらせない」を公約に掲げて当選した翁長知事だが、実際に「辺野古に基地をつくらせない」ための具体的な方策や奇策を持ち合わせているわけでもなく、何ら有効な手立てを打つことはできなかった。埋立承認取り消しも、国との訴訟も、単なる時間稼ぎに過ぎない。相次ぐ訪米や国連での演説も、ただの県内向けのアピール(デモンストレーション)に過ぎない。

そのことを一番よくわかっているのは、反対派勢力であり、翁長知事自身であるはずだ。普天間基地の辺野古移設は、間違いなく、当初の予定どおりに進められることが確定している。

このまま、翁長知事や左翼勢力が「憎しみ」と「怒り」で沖縄を支配し続ける限り、沖縄は永遠に「闘争の島」から抜け出すことはできない。戦争はもうとっくの昔に終わっているというのに、まだ戦いを終わらせたくない人々が沖縄を支配し、「平和」の到来を決して許そうとしない。沖縄県民の最大の不幸が、ここにある。

彼らのために沖縄全体が、もはや「怒り」から抜け出すことができなくなってしまっている。

繰り返して言うが、「闘争」を求め続ける限り、決して平和は訪れない。戦うことをやめ、「怒り」や「憎しみ」を捨てさえすれば、平和な沖縄が戻るのだ。

辺野古で座り込みを続ける全国の左翼は、「米軍基地がある限り、沖縄の戦争は終わっていない」と言う。しかし、あらゆることに「反対」し、戦うことを愛するあなたのその心こそが、沖縄を戦場にしているのだ。

「負け」を認め、翁長知事は退陣すべき

辺野古への基地移設を阻止できなかった翁長知事は、「負け」を認め、公約を守れなかったことを素直に支援者に詫びて、退陣すべきである。しかし知事は県民に対し、さらに「自己決定権」という新たな闘争テーマを与えて、終わりのない闘争の道へと、沖縄県民140万を道連れにしようとしている。

「国と戦う」ことを公約に掲げて当選した翁長知事にとっては、知事の椅子に座り続けるためには、永遠に戦い続ける以外に道はない。したがって、「基地反対闘争」が終わってもらっては困るのである。

「闘争」を終わらせまいとする知事の心が、日本全国の左翼が沖縄に結集する原因となり、独立運動を勢いづかせ、さらには中国の侵略を招き、沖縄にさらなる争乱と災禍を引き寄せている。

琉球新報と翁長知事に、内乱罪の適用はあるか

辺野古闘争は、ついに「民族自決権」を求める闘争へと変貌した。福岡総領事を使って翁長知事の選挙戦を支援し、「琉球独立運動」を支えてきた中国共産党の筋書きどおりに、事態が進んでいる。

本当に独立を望んでいる勢力はごく一部の限られた運動家だけであり、翁長知事や、知事に同調する政治家やマスコミは、「民族自決権」を政府との交渉カードに使おうとしているだけかもしれない。しかし、今のこの沖縄の動きを、国際社会で利用しようとしている隣国の存在を、甘くみてはならない。「自己決定権(民族自決権)」の要求は、下手をすれば琉球独立へ直結する道であり、県民のみならず日本国民全体の運命を狂わせる結果になる、大変危険な動きである。そして、それを中国共産党が支援していることも、数々の証拠からすでに明らかになっている。

これ以上、本土と沖縄の分断が顕著になり、全国の左翼勢力や「反安倍」の左翼政党を巻きこんでの、大きな反政府運動に拡大するようであれば、「民族自決権」を掲げて闘争を煽る琉球新報や島ぐるみ会議、そして翁長知事に対しては、内乱罪の適用も検討すべきではないだろうか。また、独立運動の高まりに乗じて、中国が尖閣諸島近海で武力行使にでも出た場合には、内乱罪よりもさらに重い「外患誘致罪」の適用も視野に入れるべきである。(尖閣沖では昨年末、中国の艦船が初めて高射砲を搭載した状態で領海侵犯を行うなど、威嚇行為がエスカレートしている)

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※参考 内乱罪とは

内乱罪(ないらんざい)は、国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をする犯罪である(刑法77条)。内乱予備罪・内乱陰謀罪(刑法78条)や内乱等幇助罪(刑法79条)とともに、刑法第2編第2章に内乱に関する罪として規定されている。